近年、北方領土返還要求運動の形が少しずつ変化している様に感じます。
四島問題は日本だけの主権を一方的に主張できなくなってきているのが現状です。
私たち2世、あるいは3世と世代交代があるように、現在四島に在住しているロシア人側にも
同じように「故郷」という主権が沸いてきています。

左翼的な意見かもしれませんが、私の考えを率直に述べますと
「四島(しま)を返せ!」という時代は終わった・・・という事です。
現在の地元に在住する元島民の話を聞きき、その悲惨さが解るゆえ
「返せ」の一言で四島が返還されたら、同じ過ちを今度は日本が行う事になる・・と考えてます。

今となってはどうしようもない事なので、私はロシアはロシア側で
過去の「不可侵条約」を破り侵略して来た事を認め、お互いの理解を追求し
「共同圏」という条件で自由に行き来できる場所になれば良いと思っています。
ありえない空想論かとは思います。世界各国を見てもこの例はありません。

政権的に非常に難しい問題を抱える事になりますが、お互いの主張を求めるのなら
この方法が一番、平和的思想かと考えてます。

ロシア語は片言しか話せませんが、国同士で行われているビザ無し交流などで
色々な方の通訳や片言のロシア語または英語で話をし、このような考えを持つようになりました。
私の場合、言葉が話せないゆえに会話がままならず

「想いを音(歌)に乗せて」

という事で「音楽」の交流を行っています。





上の写真は択捉島を訪問した時のものです。
なにやら怪しい様相ですが、左が私。電気が使えないのでアコースティックでの
演奏になりますが、とりあえず択捉にお友達ができました。

ホームステイ先でお願いし夜な夜な、ギターを持って近くの街灯のある公園にて
大声で日本の曲を演奏すると(歌はおそまつですが・・・)
ロシアの方たち(10代〜50代)が10人ほど集まって来て
僕にウォッカを差出し、一緒に飲みながら数時間過ごした事があります。

写真真ん中の青年がビテール(ビーチャ)君といい、
択捉の音楽学校の先生の息子という事で
日本の音楽に興味があるらしく、最後までお付き合いをしてくれました。
もちろん、彼のお父さん(イーゴリーさん)ともお付き合いはしています。

彼はここ「択捉」で生まれ育ち、三世になります。

私はこの時、今となっては彼の故郷もここ「択捉」なんだ・・・と思い
ただひたすら
「返せ!北方領土」ではいけないと感じました。

彼とはインターネットを通してメールなどで時折、連絡を取ってはいますが
言語の違いなどで文字化けしてしまい、なかなか難しい物になっています。
画像は問題なく通信できますので手紙を肉筆で書き、スキャナーでキャプチャーし
画像DATAとして送信すると間違いなく届くようです。

一時、チャット(英文)を勧められましたがやはり、文字化けして駄目でした。

色々と考えた後、この海底ケーブル陸揚庫を
「ロシア⇔日本」の翻訳サーバーの設置場所
として活用できないか・・・などと想いを膨らませています。

海底ケーブルは途中、断線はしているものの、陸揚げされたケーブルの一部を
テスターで通電テストを行ってみるとまだまだ使えるという事が確認できました。

現在の通信技術はこのようなケーブルを使わなくても衛星を使って通信は可能ですが

この建物と海底ケーブルを通して・・

という事に意味があるという事に想いを寄せています。














陸揚げ庫の保存とロシア人との交流